秀吉暗殺計画
いきなり、物騒なタイトルですが、島津 歳久公をご存知でしょうか?
時は戦国、秀吉といえば、もちろん、誰もが知っている、太閤 豊臣 秀吉。
関ヶ原の徳川 家康の敵陣突破で有名な、島津 義弘公の弟になります。
さかのぼる事、関ヶ原のちょっと前、九州征伐の時、時の天下人に、
ただひとり逆らった武将がおりました。
歳久公は、薩摩に入った秀吉に、謁見しないばかりか、
薩摩川内市から伊佐市大口方面への通り道の宮之城で、家臣に、
わざと険しい山道を案内させ、駕籠にむかって弓矢を放ちました!・・・本当に!!
察していた、秀吉は駕籠に乗っていなくて、難を逃れたという逸話があります。
そんな、大河ドラマのような話がありました。
その島津 歳久公、数年後には秀吉の怒りにふれ、命を落とす事になりますが、
領民に慕われていて、官位名金吾様と呼ばれ、400年以上にもなりますが、
今に祭りが伝わります。
歳久公の、居城はもちろん、虎居城(とらい城)。
そして、9月20日、中津川地区の大石神社で、金吾様祭りがあります。
この大石神社の名前にも由来があるようです。
当日は、歳久公の人気と、昔ながらの勇壮な踊りに、観客の方が多いです![]()
地元では金吾サア祭りのほうが、通りがいいようです![]()
参考資料 1.島津 修久氏 島津 歳久の自害
2.インターネット調べ(いっぱい検索サイトが出てきます
)
3.中学時代の社会の先生が言った事・・・(記憶
)


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