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2011年3月12日 (土)

どうしていいかわからない

昨日からのテレビの映像に心を痛めています。

どうなってしまうのでしょう、直視できないほどの状況です。

水を見られない・・・公園内には2人、おります。

北薩地方が地震にみまわれたのは、子供が年長の時でした。

我が家が水害にあったのは、中学3年生の高校受験の夏休みの最初でした。

家に鍵をかけて避難する時、道路の水は、すでに膝の高さまできていました。

次の日、鍵が開かないドアを壊してくれたのは、隣の住人。

爆弾が落ちたように、畳がすべて持ち上がっていて、

どの部屋も、どの部屋も、ひっくり返った家具や電化製品。

どこから手をつけていいのか。

我が家の片付けの手伝いにきてくれた友人達。

家族は、仕事の関係上、

『たぶん、帰ってきてないだろう、自宅がまだ水が引かないから』

と先に、片づけに来てくれた、先輩。

子供の友人に、子供の物はまかせて、

ご主人達は災害対策に行ったままで、手伝いに来てくれた奥さん達は、

お礼のあいさつもする間もなく、次の家の片づけに向かっていました。

近くの人達が、炊き出しをしてくれて、おにぎりをもらいました。

隣の家に片づけに来てた、その人の会社の人に、重い、濡れた畳を外まで運んでもらい、

子供の部活の友達のおじいちゃんまでもが、動噴とタンクを持って来てくれて、

おばあちゃんも行くといってたが、止めた、と友人は言ってました。

その翌日、我が家の物はすべて外に出たので、

水の引いた先輩宅に行ってみると、そこは、我が家以上の惨状でした。

その頃、勤めていた職場の人は、家まで、洋服を持って、見舞いにきてくれました。

実家での仮住まいにまで、災害物資を持ってきてくれた、役場の人。

居候生活の中で、受験にむけて塾は始まっていて、行くかやめるか、迷っていると、

塾に一緒に行く約束をしていた、別の友人が、

「自分達も手伝いに行っていて、最初から行けていないから、明日から一緒に行こう」

とさそってくれてました。

それから、子供用の白い運動靴を買いに行きました。

あの時の事は、忘れた事はありません。     ・・・002

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